小さなスピリットが気づいたこと
物心がついた頃、、、
私は窓もお風呂も水道もトイレもない2間だけの家に住んでいました。
(それらは隣の親戚の家に借りにいくのです。)
竹やぶに囲まれていたので
竹の子が畳を押し上げ家の中に竹が生えてたこともあります。
ある寒い冬のことです。
2枚の布団に父親と弟と母親と私が川の字で寝ていた時、
とても寒かったので母親に触れてしまったのでしょう。
いきなり、
「つんたか(冷たい)。わいなんか(お前なんか)いっちょん好かん(大嫌いだ)
くっつくんな(くっつてくるな)あっち行け!!」
と怒鳴られ、、、思いっきり足で何度も何度も蹴られ布団から蹴り出されました。
寒い冬の夜、朝まで寒さと痛みにガタガタ震え泣きながら、、、
小さなスピリットはハッキリと気づいたんです。
私は愛されていない!!
こんな家で生きていくのなら私はもう真っ直ぐに生きていくことはできない。
嫌われ愛されないねじ曲がった暗い生き方をしなきゃならない。。。
それが自分の人生なんだって。。。
でも、不思議なことに
そんな家になぜかイエス様の絵が柱の上に飾られてあったのです。
そして、小さなスピリットは固く誓ったのです。
この人たちは私の本当の親じゃない!!
イエス様のような人、神様が私の本当の親なんだって!!
そうして生きていこうって。。。
これが、私のアイデンティティーを語る原風景です。
自分にも、 誰にも汚させない私の価値
そこで、もう少し大きくなった私は、
生き続けるために、
自分は魂の存在なんだと思う事にしました。
それ以外に自分が生きてる、生まれてきた、存在する 、
理由が1つもないからです。
私は今のこの私だけじゃありません。
もう、何度も、何度も、生まれては死ぬことを
くる返している魂の存在です。
何のためにくり返しているの?
1つの小さなサイクルは、
自分の中にある過去世のマイナスのエネルギーを
人から受けて清算したり、学んだりして、
もっと上の幸せな世界で幸せになりたいから。
もう1つの大きなサイクルは、無限の宇宙意識(神)である私は
無限分の1の私はどうであるのか知りたいからです。
自分を知ることは宇宙意識(神)である私にとって
最高の喜びであり、最高の幸せだからです。
そのために私は自分が宇宙意識じゃない、別なものだと思い込んでいます。
全てが一体である宇宙意識(全知全能の神)は
行き過ぎると自分がわからなくなるんです。
それは、音がいろいろな音程といろいろなリズムがあって
千差万別の歌や曲が楽しめるようなものです。
もし、全て音が一瞬に同時に一体に聞こえたら音は聞こえないんです。
音がすべてあるのに、音がなくなる。
そのために、あなたと私と別々のものが必要なんです。
ほんとうは1つで同じものなのに、
あなたと私は別々と思い込みさまざまに関わり合って
自分であること(喜び)と自分でないこと(苦しみ)を体験して
自分がどうであるのか知りたいのです。
これが、魂、 スピリットととしての自分の価値なのに
目に見えること、その時代だけの偽りの価値観に
自分のスピリットとしての価値を汚されたくないんです!!
愛されず醜く自分には価値がないという
自分が自分に与えるどんなジャッジにも
自分の価値を汚されたくありません。
ちびだ、太ってる、醜い、可愛げがないという
他人が与えるどんなジャッジにも
美しい自分の価値を絶対に汚されたくないんです。
誰だって、輝くスピリット
目に見える世界のみの
自分自身のジャッジや人からのジャッジで
気落ちしそうな時、、、
『私は輝くスピリット』
と心の中で言霊をつぶやいて自分を愛し勇気を出します。
あなたと私は同じもの、
違うって思い込んでるだけ、
そして、私は宇宙意識(神)と同じもの、
違うって思い込んでいるだけだから。