課題の分離って知ってる???

今はやりのアドラー心理学

心理学、心の世界の研究で三大巨匠と言えば
人の無意識(潜在意識)を唱えたフロイト
その無意識の深層には人類としての一つになった集合無意識があると唱えた ユング
そして、今はやりのアドラー心理学のアドラーがいます。


最近、アドラー心理学、アドラー心理学ってよく聞くけど 、、、
何か難しそうだなぁ~と思って調べてみようとはしませんでした。
でも、アドラー心理学って何を言ってるのかとずっと知りたいとは思ってました。


すると、、、またまた願いを叶えるシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)です。
友人がまんがと図解でわかるアドラー心理学というムック本を持っていたのです。
おー、コレコレといつものように
やさしく解説した本を自分で探すことなく勝手に手に入り借りて読むことができました。


課題の分離やってる?

アドラーが言ってることの中に『課題の分離』というのがあります。
それはどんなことかというと、人が怒ったり、不機嫌だったり、ヒドイことを言ったり、したりしても
必要以上に気にしないということです。

人が自分をどう評価するかはその人の問題、課題で、
その人が決めること。
自分が〇〇すべきなのにとか支配できない。
っていうこと。



その点、私は人にいろんなイヤなことを言われたり、
されたりしてもあまり気にしません。
なぜなら、一番ヒドイことを言ったり、したりするのが親だったからです。
親にいくら正論を言ってももムダ、相手が変わることなど望めるわけもなく、
かえってますます嫌われるだけ。

だったら、一生かかったってかわることのできない親が
言ったりしたりしたことを
あれやこれやといつまでも考えるのはよそう。
自分が変わる方がまだ希望がもてると思ったのです。


だからその習慣から
誰がどうしたこうしたとグジグジかかわってるヒマはなく
だったら自分はどうしたらいいんだっていう方に
すぐにプラスの方向に転換するクセがついてしまっているんです。
だから、
悪いことは悪いことじゃないね。


そこで思い出したアシュリーの言葉

人が自分をどう評価するかはその人の問題、課題。
人がどう言ったり、したりするかはその人の問題、課題。

っていうのを考えてたら思い出したんですよ。
アシュリーの言葉を。

アシュリーは通常の10倍近いスピードで老化するプロジェリアという病気だったのですが
それを悲観することなく、
また、生まれてくることがあったらまた自分に生まれたいと言ったスゴイ人です。

私が不思議に思って何年も忘れないでいたアシュリーの言葉は
子供なのに老婆のようなその外見をからかったり、
いろいろ言う人に対して、

「それは私の問題じゃなくて彼らの問題だから」
という言葉でした。

その言葉はどこから出て来たんだろうと何年も何年も気になって覚えていましたが、、、
あっそうか!!
アドラー心理学なのかと今つながったんです。!!

ムック本によると日本では最近言われるようになったアドラー心理学は
アメリカではフロイトより数十倍も有名で受け入られているそうです。
アシュリーがやってたのは『課題の分離』なのです。

最後にネットからお借りしたアシュリーの言葉をのせます。


アシュリー・ヘギちゃんの言葉


小さいときからよくからかわれたし、 いまもからかわれることはあるけど、 そういうときは、
「あなたにも同じ血管があるのよ」って説明するの。

それでもからかうようなら、もう放っておくの。
それはわたしの問題じゃなくて、 彼らの問題だから。

プロジェリアじゃなければいいのに、なんて思わないわ。
わたしは、わたしという人間であることが幸せだし、
神様がわたしをこうお創りになったのには、
きっと理由があるはずだもの。

もしかしたら神様は、 “わたしはプロジェリアだけど、
こう生きている” ということを人に見せなさいって、
その機会をお与えになったのかもしれないって思うの。
この病気をとおして、 人を助けなさいということかもしれないって思うの。

わたしのことをかわいそうだって言う人がいるわ。
でも、その人たちはわたしじゃない。 だから、そう言うんだと思う。
だってわたし、自分のこと、
かわいそうだって、ちっとも思わないもの。

わたしは、人の前で悲しい顔はしたくない。
笑顔でいると、みんながハッピーになるでしょ。

ハッピーでいられる自分が好き。
悪口を言われたときでも、誰かがわたしに怒ったときでも、
相手に対して怒らないでいられる自分が好き。

嫌いなところはひとつもないわ。
たまにはね、イラついちゃうときがあって、
ちょっと嫌いになりそうになるけど、
そういうときは、
なぜ、わたしは怒っているんだろうって考えて、
気持ちを落ち着けるようにしているの。
そうすると、こんなことで怒るなんて意味がない、
バカみたいだって思えてくるの。
で、それで終わりにするの。

わたしはいつも前向きでいたい。
前向きになれないときが これまで1回か2回はあったかも。
でも、ほとんどないな。

自信を失ったこともないわよ。
だって、自信を失わされるようなことが 起こったことなんてないもの。

人はこうなのに、自分はこうだとか、
誰かと自分を比べて、どうこう考えたりしない。
誰だって完璧じゃないもの。

ひどいことを言われて相手に怒りを感じたときは、
その人に怒り返さないように、自分に待ったをかけるの。
そこにいたらきっと言い返してしまうから、
「ちょっと失礼」って別の場所に行って、
一拍置くようにしているの。

一拍置いて、いま起きたことを考えてみると、
憤りが相手にそういわせたんだってことが見えてきて、
自分の中の怒りや悲しみが消えていくの。

人が怒っているとき、相手に対して、
本心から思っているんじゃないようなことまで
勢いで言ってしまったりすることがあると思うの。
言い争いをするとときって、
売り言葉に買い言葉になっちゃうでしょ。
そんな怒りのシーソーゲームを続けていても、
なんにもならないじゃない?
だから、こうしようって決めたの。

もしも、わたしが誰かから
あなたにはあと24時間の命しかありませんよ、
と言われたとしても、 それで困ったりはしないわ。

死は誰にでも訪れるもの。
恐れるなんて、 意味がないことだと思う。

なぜ、ここにいるのか、 それはわからない。
でも、わたしたちがここにいるのには、
何か目的があるはずだと思うの。

わたしはハッピーに生きたい。
ほかの人たちを勇気づけられるように生きたい。

生きるチャンスを与えられているんだもの。
わたしは、自分の定められた時間がくるまで、
すこやかに生きていきたいと思っているわ。

わたしたちの祈っていることに対して、
神様がそうしたいとお思いになったときは、
必ずかなえてくださるんだと思っているわ。

いまは、特別な夢ってないの。
家族がずっとずっと健康で 幸せでいてくれたら、それでいい。

自分がいま得ているもので十分幸せだと思うから、
それ以上、ほかに思いつかないわ。

これからどうなりたいかって?
ハッピーで、みんなを勇気づける人になりたい。
人の助けになれる人になりたい。
愛情にあふれた人になりたい。